五井から富津岬までサイクリング|千葉でサイクリング
市原市の五井から富津岬までサイクリングしてきたので記録として書きます。あえて言えば千葉でサイクリングする場所を探している方にお勧めの記事です。今回は歴史を感じに行くという目的ではなく純粋にサイクリングを楽しむことが目的でした。純粋にサイクリングする際は目的地を定めた方が有意義に時間を使えると思います。そのため、今回は大貫駅を目的地に設定していました。特に理由はないのですが。しかしながら、道中、これまた何の理由もなく目的地を変更しました。ということで五井~富津岬のサイクリングとなりました。
以下、今回のルートをいくつかに分けて振り返ろうと思います。なお、今回の記事は画像少なめです。
■五井~小櫃堰公園
上述したように当初の目的地である大貫駅に向かうため、googlemapのルート検索結果を参考に進むことにしました。まず五井~袖ヶ浦間のお話。googlemap的には五井姉崎間は県道24号、姉崎長浦間は県道287号を使い国道16号に合流しろ、ということだったんですが、右に内房線、左には鬱蒼と茂る木々+落石注意、路側帯も狭いという悪環境の県道287号を通りたくなかったことと、どうせ国道16号に合流するのなら、ということから、五井姉崎間は県道24号、それ以降は国道16号ですすむ、ということにしました。で、順調に進んでいたのですが、サイクリングしている最中にいちいち止まってmapを確認するのが面倒だったためあまり見ずに進んでいると、案の定ルートを間違えました。というか、ただ国道16号に沿って進めばよかったものを、今振り返ってもなぜそう進んだのかわかりませんが、国道16号が袖ヶ浦市内に入る前、市営野球場前を通過したあたりでなぜか16号からそれて袖ヶ浦の奈良輪という場所に進んでいました。ここが非常に走りやすかったため戻る気もしませんでした。少し進むと、左手に袖ヶ浦駅が見えましたね。袖ヶ浦駅の海側は少なくとも2年ほど前までは田圃、もしくは手つかずの雑草が生えている土地だった記憶していますが、現在開発中ということで更地になってました。おそらく三井アウトレットの最寄り駅として降車客数が増えているため駅前を活性化しようという目的なんでしょう。なんてことを考えながら進んでいると、そのアウトレットに向かう県道7号とぶつかりました。右折すればアウトレットへ向かう道ですね。ここで軌道修正するため、左折し内房線の架橋をくぐり、坂戸市場の交差点を直進し16号に合流することを考えました。(千葉方面から来ると、ここにアウトレット右折、という看板があります。)
直進後みちなりに進んでいると、東京湾アクアライン連絡道が見えました。これに沿って南下していれば16号に合流できたはずなんですが、というか一瞬合流していたんですが、16号を知らぬ間にくぐり通過していました。あの道が16号だったと気付かずに進んだんですねー。その後とりあえず木更津方面に向かわねば、と思いひとまず、小櫃川を越えようと思いながら小櫃川沿いに進んでいると、橋がみつかり、それを越え左折すると公園がありました。
通り過ぎようと思いましたが 、なかなか大きい公園だったことと少しのどが渇いていたこともあり、少し寄ることにしました。中に入り公園の名前を確認すると、小櫃堰公園という公園だということが分かりました。確かに直前の橋の左手に堰があり気になっていたんですねー。ここでルートを確認しなおし、祇園→房総横断道路→国道16号というルートで当初のルートに戻ることにしました。
■小櫃堰公園~桜井
今ブログを書きながら改めてルートを見てみましたが、適当に国道16号~国道127号(内房なぎさライン)にのっていれば大貫駅につくとなぜかおもっていたんですが違うみたいですね。サイクリングしているときは細かくルート確認していないため勘違いしていました。という話は置いといて、先ほどのルートに沿って今度は順調に進んでいました。ところが、アルペン木更津店やネッツトヨタ千葉を過ぎた過ぎたあたり、ちょうど国道16号と国道127号の分かれ目のところ(桜井交差点on国道16号)で、ふと道路の案内板を見ると「富津岬」という文字が目に入りました。まあ気にせず直進して国道127号に入ろうとしていたんですが、気になってしまい、いったん停止し、大貫駅までの距離と富津岬までの距離、ルートを比較してみました。その結果、富津岬までの距離と大貫駅までの距離があまり変わらないこと、目的地の目的地としての充実度、ルートが複雑でないことを考慮し、富津岬に行き先を変更することにしました。ということで桜井交差点で右折。その後、内房線を渡り県道90号を走りました。県道90号を走っているとそのまま富津岬に行けるんですね。その簡単さにひかれ富津岬へ向かいました。(今大貫までのルートを確認したところどうやら大貫に向かう場合でも桜井交差点で右折し、県道90号で青堀まで同じルートだったようです。)
■桜井~富津岬(写真あり)
ということで目的地は変更になったものの、富津岬は行ったことがなかったので楽しみでした。木更津から15km、時刻は17:00ということで桜井から急ぎ目で向かいました。道は一本なので迷う心配は一切ありませんでしたが、路側帯が狭いところがあるなど、自転車には少し走りづらい道でややストレスを感じたものの、道路案内板に表示される富津岬までの距離が短くなることに楽しみを覚えひたすら進むこと30分。とりあえず富津公園に到着。(このときはすぐに岬だと思っていた。)
さあ岬はどこだと考えながら、また、左手に立ち並ぶおいしそうな海鮮系のお店を見やりながら公園内を進んでいるとどうみても岬はまだ先だということを把握しました。ジャンボプールや温泉などを通り過ぎ、やっとこさ着いた岬で撮った写真がこれ。
他にも撮りましたが曇天ということもありあまり綺麗でないので載せません。
あとはこれですね。
富津岬からの眺めを一望できる展望台らしきものです。誰もいなければ登ろうと思いましたが、人はいるわ一人で登っている人はいない(家族連れ、バイカー、カップルなど)わでおそらくターゲットではないと理解し、少し休んでここを後にしました。
で、その後来た道をただ戻るのもなんなので、途中防風林?防砂林?を少し抜けたところで再度写真を撮りました。それが次の写真。
ズームしたのが次の写真。
山の頂上にうっすら写っている縦長の物体は東京湾観音という高さ56mもある救世観音です。佐貫町駅から2km、南房総国定公園内にあるそうです。写真でもわかるようにここからは東京湾を一望できるそうで、その眺めが最高だとか。世界平和と戦没者慰霊の意を込めて昭和36年に建立されたと。ちなみに拝観受付時間は8:00~16:00で、拝観終了時間は17:00とのこと。拝観に要する時間は30分ほどとのことです。料金は大人500円、中高生が400円、それ以下が300円。はかりめ丼という名物があるなど食事も楽しめるよう。(予約制)
また、割引券などもあるそう。マザー牧場に寄ったついでに寄るのがいいかもですねー。あとはこれから夏、近くの海水浴場に行った際寄るとか。ちなみにこの公園、観音がある大坪山、そして観音は、心霊スポットとしても有名です。特に大坪山山中にある観音隧道(トンネル)ですね。車一台通れるだけの狭い隧道があり観音を拝観するにはそこを通る必要があったらしいですが、そのためか事故が絶えなかったらしいです。ちなみに今は封鎖されています。他には、この山の反対側には太平洋戦争中に作られたとされる海軍の地下軍需工場があったらしく、どうやら現存するとか。また、観音自体も心霊スポット的なところがあるそうです。昔、観音の胸ののぞき窓から飛び降り自殺を図る人が後を絶たなかったという話もあるようです。今は金網があるようですけどねー。(以上の話が本当かどうかは知らない。)
関係ないですが、東京湾観音のwebサイトがスマホ対応されていてびびった。
といった感じで目的地は変わったものの、楽しいサイクリングでしたー。
走行距離は迷ったこともあって往復で90kmでした。
映画.comをSEO素人が暇つぶしにSEOの視点で考察してみた
映画.comをSEO的に見てみようー、という記事です。ただしタイトルにあるようにSEOに詳しいわけでもない人間が知ったかぶりで書いているということにご留意ください!前回、映画.comとMovieWalkerの検索順位を比較するだけという無内容な記事を書いたんですがその続きになります。
今回はクローラビリティと下層ページへの集客に注目しました。
■クローラビリティ
・クローラビリティの意味とその重要性について
クローラビリティとは、webページを収集するプログラムであるクローラーにとってのクロールのしやすさを意味します。ページの多いサイトでは意識をしないと、最下層(商品個別のページなど。)に達するまでにクリックする回数が多くなることや、リンクが張り巡らされていないことによってページへの到達可能性が低くなりがちです。クロールされなければインデックスもされないので、そもそも検索の網に引っ掛からないことになり、コンテンツを多く持っていても宝の持ち腐れということになってしまいます。そこでクローラビリティや内部リンク構造を最適化することが重要になるわけです。
今回は映画.comがクローラビリティをどう確保しているのかを見てみました。比較対象は今回もMovieWalkerです。
・映画.comとMovieWalkerのクローラビリティ対策を比較
両サイトで、個別の作品詳細ページまで何クリックかかるかを調べてみました。
まずはMovieWalkerについて。
調べた限り、
トップページ→作品を探す(1クリック目)→公開年別リスト(2クリック目)→公開年(3クリック目)→公開月(4クリック目)→作品名(5クリック目)
と5クリックを要しました。
次に映画.comについて。
こちらは、
トップページ→トップページフッターリンク新規作品一覧(1クリック目)→n年に新規登録された作品一覧(2クリック目)→n年x月y日(3クリック目)→作品名(4クリック目)
とMovieWalkerより1クリック少ない4クリックで作品ページへ到達することができます。
映画.comの方がクリック数が少なくて済む理由は、年別のページから一気に日付ページに飛べるからですね。細かいですが、しっかり対策されている印象を受けます。
ページ数が多くなりがちなサイトではこのようにリンクだけを集めたクローラビリティ対策コンテンツを設けることが重要です。と、口で言ってても伝わりにくいと思うのでスクショを一枚。
これは映画.comの新規登録日付一覧のページです。ここから作品ページに飛べるようになってます。
てな感じでクローラビリティのお話でした。つづいて下層ページへの集客についてです。
■下層ページへの集客
両サイト様々なコンテンツがあり各コンテンツから集客していますが、映画.comが優れている点として俳優名・監督名でもしっかり対策がなされていることが挙げられます。MovieWalkerも俳優個別のページを持っており、htmlを見てもtitle,description,h1に俳優名を含めるなど、対策はしっかりとってはいます。しかし、コンテンツの中身は、その俳優が出演した作品紹介と関連ニュースのみとなっています。一方、映画.comの場合、それに加え、俳優の経歴、画像、インタビュー、関連コラムなども記載されています。
ex)MovieWalkerの松坂桃李ページと映画.comの松坂桃李ページ
この対策の違いは下の表にあるように順位に反映されています。
右の2列の数字は各キーワードで検索した際の検索順位を示しています。
今回選んだ5つの俳優名において偶然映画.comがより上位にきただけ、という可能性もありますが、これを見る限りどのキーワードでも映画.comがMovieWalkerより上位に来ています。また、そのどれもが1ページ目です。検索数をみるとわかるようにボリュームも大きいので、集客対策として俳優名や監督名などで上位に来ているインパクトは大きいと思います。俳優や監督は当然他にもたくさんいるので、そのすべてで上位に来ているかはわかりませんが、それでも相当のアクセス数が俳優名・監督名経由で獲得できていると思われます。
下層ページであってもしっかり対策を行うことで集客にインパクトを与える好例だと思います。
といった感じで今回はクローラビリティと下層ページへの集客という視点から映画.comのSEO対策について考察してみました。いい暇つぶしになりました!
その他SEO関連の記事
市川の国府台を散歩してみたpart3|千葉の散歩
part2の続きになります。前回記事を作成してから間が空いてしまいました。今回で国府台散歩シリーズは終わります。part1では国府台という場所について紹介を行い、part2では駅から国府台公園~里見公園前までの散歩について写真を交えて記録しました。今回は、里見公園内を散歩した記録と、公園~駅までの散歩記録となります。
ということで早速スタート。
国府台城跡についての案内板の前を通り過ぎまっすぐ進むとこんな建物が。
これは紫烟草舎といい、明治時代に活躍した詩人北原白秋が利用した離れを復元した建物です。もとは小岩にあったらしいです。
石碑にズーム。
華やかに さびしき秋や 千町田 ほなみがすゑを 群雀立つ
という白秋の句が刻まれています。
紫烟草舎を右目に、次に羅漢の井に向かいます。羅漢の井は、かつて飲料水として使われていたようです。今は飲めませんが。
これが羅漢の井周辺を描いた絵になります。これを見ると当時は今よりももっと水量が多かったことがうかがえます。
お次は里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑と、夜泣き石です。すこしぶれてますが。
案内板に書いてある内容をもとに紹介すると、1564年1月4日に安房国の大名、里見義弘率いる軍勢8千の里見軍が国府台に陣を構え、北条氏康率いる軍勢2万の北条軍を待ち構えていたところ、1月8日の払暁(夜明け)に急襲にあい、里見軍は5千の戦死者を出したそうです。いわゆる第二次国府台合戦です。なお、この戦いの前に、北条軍側の人間が恐らく勝手に攻め込み戦死しています。これに気をよくして里見氏は酒をふるまったようで、その夜のことだったそうです。
この戦いの中で里見広次が亡くなっており、12~3歳の広次の娘が弔いのためこの場所にやってきたものの、戦場跡の凄惨さに恐怖と悲しみを感じ、傍らにあったこの石にもたれて泣き続け、息絶えたと言われています。また、そのあとも不思議なことに泣き声がきこえるということで夜泣き石伝説として語りつがれているようです。ただし、案内板にもありますが、史実と照合するとどうやらこの話は創作の可能性が高いようです。
さて次が里見公園内最後に紹介するものになります。明戸古墳石棺です。この古墳は発掘された埴輪から6世紀後半に作られた前方後円墳とされています。
他にも探すといろいろ遺構があるらしいですね。今度時間があるときにもう一度訪れようと思います。その際は里見公園だけではなく、真間や国分などこの一帯を回りたいですねー。松戸街道を歩いているときに通りすがりの高校生らしき少年がレンタルされた自転車に乗っていたので、市川駅あたりでレンタルサービスをやっているのかもしれません。一帯を回るのであれば自転車を使うのもいいかもしれません。
帰りは里見公園の羅漢の井から出て江戸川沿いに歩いて帰りました。最後にその帰り道に撮った写真を載せます。左にうっすら見えるのが東京スカイツリーになります。
市川の国府台を散歩してみたpart2|千葉の散歩
ということで国府台散歩part1の続きから。part1では主に国府台の紹介を行いました。簡単にまとめてしまえば国府台は下総国の国府が置かれていた重要な場所であった、といった感じです。さて、part2では先日散歩したルートを国府台駅~国府台公園、国府台公園~里見公園、里見公園内、里見公園~国府台駅の4つに分け、その道中に撮った写真を交えて紹介してゆきます。ただし、画像が多く読み込み速度に影響を与えると思うので、里見公園内と里見公園~国府台駅についての記事はpart3としてあげます。また、今回散歩した場所以外でも訪れるべき場所はたくさんありましたが時間の都合上上記のルート上に存在する史跡以外は訪れられませんでした。
たとえば手児奈霊神堂。手児奈とは古代に現在の市川市真間(国府台の近く)にいたとされる女性。そのあまりの美しさに手児奈を奪おうと争いが起き、それを辛く思い入水自殺したと言い伝えられる。成立が759年以後とされる万葉集に集められた和歌の中に、この真間の手児奈について詠んだ和歌があることから、手児奈は少なくとも奈良時代もしくはそれ以前に存在したと推測されます。ちなみにその和歌は以下のようなもの。
勝鹿の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ
拙訳:勝鹿の真間の井戸を見ると、(地面が均されるほど)よく往来し水を汲んでいたという手児奈のことが思い出される
ちなみにこの和歌に出てくる、手児奈が水を汲んでいたとされる真間の井は手児奈霊神堂の向かいにある亀井院の中に現存するとか。とまあ、こんな感じで訪れたい場所はあったけど出来なかったので紹介ができないというお断りを入れたうえでルートの紹介に参ります。
■散歩ルートの紹介
・国府台駅~国府台公園
京成電鉄普通列車に乗り国府台駅で下車すると、ホームから改札へと降りる階段の手前に国府台の案内板がありました。あまり下調べしていかなかったので非常に助かりました。
この案内板を見て訪れるべき場所が多すぎて時間的に厳しいと思い、里見公園を目的地に設定し、その途中にある史跡を見ることにしようと決めました。ということで国府台駅改札を出て里見公園方面に向かうため松戸街道沿いに歩いてゆきました。右手に国府神社が見えたあたりから上り坂が始まります。坂の左には和洋女子大学、右には千葉商科大学があります。そしてもう少し坂を登ると、右に国府台公園があります。ほとんど運動場と化していますが、この公園内にこの周辺に国府があったことを示す下総総社跡地があります。重ねますが、大半運動場、具体的にはテニスコート、野球場とあったため途中場所を間違えたかと思い引き返そうとも考えましたが、奥にありました。
跡地と言ってもこれだけです。右にちらりと映っている案内板を拡大したのが下の写真。
・国府台公園~里見公園
あまりに味気ない総社跡地を後にして、再び松戸街道へ戻ります。坂を登り切り直進すると里見公園への標識が現れます。
ここで標識に従い左折。里見公園への道はこんな感じになっています。
この道を直進すると里見公園、かつての国府台城跡につきます。
上の写真は里見公園に入ってから少し行ったところにある石碑と案内板ですが、入口には下の写真のように国府台という地域が明治以降どのような機能をはたしていたかについての説明が載っている案内板があります。
上述したようにあまり画像が多いとページの読み込みも遅くなると思うので里見公園内と里見公園~国府台駅についての記事は別にあげます。
ということでpart2はここまで。つづきはpart3へ。
市川の国府台を散歩してみたpart1|千葉の散歩
今回は千葉県市川市にある国府台という場所を散歩してみました。ちなみに国府台と書いてこうのだい、と読みます。まず簡単に国府台を散歩する場所に選んだ理由についてご説明。理由は二つあります。一つは、歴史に触れることのできる場所に本格的にはまりつつあるから。もう一つは、行ける範囲で考え探していたら国府台がかつて下総の中心地として栄えていたことを知ったからです。以上の理由で選んだ国府台散歩の記事になるので、歴史を感じることのできる場所が好きな人にお勧めの記事になるかと思います。なお、このpart1の記事では散歩そのものの内容はありません。国府台という場所の説明になっています。散歩の内容、写真はpart2で。
■国府台の紹介
まず国府台について紹介してゆきます。ざっくりとした時代区分に分けて説明します。ただしふわっと調べた薄っぺらい内容です。
・古代
国府台周辺は旧石器時代の遺跡が存在していたことからもわかるように、非常に古い時代から人が住んでいたようです。弥生時代には大きな環濠集落もあったとか。国府台の近くには江戸川が流れていますが、やはり川の近くは発展しやすいのでしょうか。(古代四大文明が例。)古墳時代にもいくつもの古墳が造られていたようです。今回散歩した中でも、そのうちのひとつである明戸古墳を見ることができました。
その後飛鳥時代後期に日本が外交的危機(白村江の戦いなど)に瀕したことによって国政改革が進み、天皇を頂に据えた中央集権制が進められる中(ただし外交的危機に瀕する前から中央集権制が進んでいたように思われる。理由は公地公民制という発想と土着豪族出身蘇我氏の存在。豪族蘇我氏の存在に対するものとして、飛鳥中期~平安初期にかけて天皇を中心とする中央集権化が進んだように思える)、その土地の豪族ではなく中央から派遣された国司が治める国である令制国という地方行政区画が形成されたんですが、その令制国の一つとして下総国が、現在の千葉県北部、茨城県南西部、東京東部などにまたがり存在していました。ちなみになぜ中央から派遣された国司に政治を行わせたかというと、中央にひもづけされているため中央の意見が地方に反映されやすいからです。統率性の強化が目的ということになります。また、この方法は大名領である藩から権力を中央に集めることを狙った明治維新における廃藩置県においてもとられています。
さて、国府台はその下総国の国府(これはこくふ、と読む)がおかれた場所とされています。国府とは上述した国司が実際に執政する施設である国庁が置かれた都市のことを指します。この地が国府台というのはかつて国府であったからということに由来しています。これはこの場所に限らない話で、全国各地に国府という文字の入った地名があるようです。また、国府には国庁のほか、国分寺・国分尼寺・総社(惣社)が設置されています。そのため、国府台の周辺には実際に国分寺や国分尼寺、総社が存在します。そのうち国分尼寺と総社は跡地という形になっていますが。また、国府台の東には下総国分寺がおかれたことに由来した国分という街もあります。ちなみに下総があれば上総もあるわけですが、上総国における国府は現在の市原市とされています。しかし国庁の遺構が見つかっていないためあくまでも推測。ただし国分寺や国分尼寺は見つかっており、ここも同様に国分寺台という地名になっています。また、国分寺台には惣社という地名も残っています。
・中世
中世には国府台城が建築されています。中世~近代においては勢力争いの舞台となっていたようです。現在里見公園がある場所が国府台城のあった場所らしいです。
・現代にかけて
明治から昭和初期にかけては軍事拠点として使われ、戦後は宅地化、学園都市化が進んでいるようです。
と、ざっと国府台の歴史をなぞり紹介してきました。後半書きつかれてだいぶはしょっています。さて、以上を踏まえたうえで今回散歩したその内容を写真とともに書いていこうと思いますが、疲れたのでそれは次の記事で書きます。つづきはpart2へ!