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電王戦第五局を見て

一般会員でも見れることを昨日になって知り、第五局にして電王戦をニコ動で観戦。とはいってもそのことに気付いたのが昼過ぎだったので途中からの観戦。

将棋は去年あたりから興味をもったものの趣味とは言えないレベル。書籍を数冊読んだ程度。

そんな自分が見た本対局の感想だけど、中盤の7,8筋あたりの攻防が非常に面白かった。どちらが優勢なのか分からない拮抗した攻防のように感じた。千駄ヶ谷の将棋連盟での棋士による検討やニコファーレでの屋敷九段の印象では70手前半あたりまでは三浦八段がやや優勢ということだった。解説にもあったけど、確かにGPS将棋側は飛車がにらみをきかせていたものの持ち駒も少なく、且つ攻め手も少ない印象で攻められたとしても攻めは続かないだろうという印象だった。一方三浦八段側は金銀歩で少しずつ7,8筋を押しこんでいるように見えた。

 

印象が変わったのは三浦八段の75手目角頭への▲8三金あたりから。均衡を破る攻めの一手のように思えたけど攻め急ぎのように思えた。対局後の三浦八段のコメントではあの手じゃないと遅い(相手に攻め込まれる)とのことだったんだけどこれは他のプロの目から見るとどうなんだろう。ただ、仮に攻め急ぎだとしても持ち時間のことを考えるといたし方ない気もした。そう、一局通して感じたのは時間の制約の厳しさだった。

そしてGPS将棋の80手目△8八歩。あれがいやらしすぎる一手で6六金とともに終局時まで効いていたように思う。一方の三浦八段は歩切れが痛かった。攻めようにもとられると自分の首を絞めかねない大駒のみで攻めにくい感じだった。

この感じ何かに似ているな、と思ったけどオセロだな。アプリでオセロのコンピュータレベルを最強にしたときのあの感覚。知らないうちに自分の選べる手が限られて挙句の果てにパスをせざるを得ない状況に追い込まれ相手の色に染まっていく感じ。終わってみると、どこからこの相手の思惑に踊らされていたのか、という感覚。

 

対局内容についてはこれ以上語れる知識も実力もないのでここらへんで。

最後に今回の第二回電王戦を通じて感じたことを。

将棋の面白さについて。

 

恐らくかなり頭のいい開発者の方々が、そして第五局では多くのコンピュータが力を注いでようやく人間を超える位置に到達したわけだけど、それだけの努力を要さなければ将棋において一局を確実に勝つというのは難しいということでもある。つまりそれだけ将棋は奥深いということ。今回の電王戦を通じて、改めて将棋の持つ面白さに触れることができた。

あの狭い盤上で限られた駒数にもかかわらず、多様な世界が現れるという面白さ。そしてなによりすごいのはこのゲームを作ったのが当然だけど人間だということ。

 

次に、人間とは、ということについて。

 

よくプロの将棋棋士がコンピュータソフトの手を見て、「人間には指せない手」という表現をする。また、感覚的に指せない、という表現もされる。人間はコンピュータのように大量に計算をして情報処理をし答えを出すことはできない。その代わりに知識と経験に基づく選別をうけた手について読みを深めて答えを出す。

プロ棋士の言う「感覚的に指せない」というのは、この選別によって自然に捨ててしまう手、ということなんだろう。ではなぜ捨てるのか。恐らく知識と経験から得られる直観からすると「危ない」からだろう。この「危険察知」する感覚が人間の本質なんじゃないかとすら思う。

で、この「感覚」というのがどこから生じるかと言えば外界とのインターフェイスである身体。コンピュータは当たり前だけど感覚する身体を持っていない。だから計算能力という意味での知能は人間を凌駕する一方で、身体感覚を通じて学習しなければならないような作業・行動についての能力は人間が凌駕している。

 

とにもかくにも電王戦を通じて人間って何なのか、というところに興味がわいたということですね。考えると難しくなりそうなのでこの辺で。

 

まあしかし電王戦面白かった。各棋士の方、各開発者の方お疲れさまでした。